先日見逃していた「プロフェッショナル仕事の流儀」の再放送
宮崎駿のすべて~「ポニョ」密着300日 を見た。
映画「崖の上のポニョ」製作の過程を長期取材したもので、
その中で、宮崎駿さんの生い立ちや母に対する思いも綴っている。
作品はまず、自分の中のイメージを描き散らしていき、
構想を膨らませていく事から始まる。
初めにストーリーありきではないのだ。
アイディアを発想する時の流儀は「半径3メートルで仕事をする」。
常に身の回りで出会ったものをテコにして想像力を膨らませる。
「ポニョ」も最初のイメージでは、頭頂で髪を一か所結んだ女の子。
それがスタッフの娘、ふきちゃん(1歳半)の写真を見、
話を聞くうちに少しずつ変わっていった。
髪の毛も結ばなくなり、顔もまんまる。
そして、これまでになくわがままでハチャメチャな女の子となり、
人間になると思いやりや労わりも持てるように成長させていった。
宮崎駿さんのイメージボードはとても素敵だ。
まるで水彩画家の様に鉛筆で下絵を描き淡い色の塗り方をする。
アニメも好きだが、このイメージボードの淡い感じが私は好きだ。
彼は撮影中も気負う事なく背中からシャツの裾をはみ出しながら、
大きめのエプロン姿で頓着なく仕事をする。ちょっと可愛い。
反面、自分のイメージと熱意をスタッフに伝える姿の真剣さには
とても激しいものを感じる・・・。
彼の流儀は、「映画の奴隷になる」。
自分の好きなように作品を作るのではなく、「この映画は
こうしないといけない」という宿命を背負っているという。
持てるすべてを捧げる覚悟をスタッフ全員に厳しいまでに求める。
この人の「今」を形作っているものは彼の生い立ち・・・。
子供の頃、宮崎駿さんは病弱だった。
そんな彼の母、美子さんはとても優しいけれど
勝ち気で活動的なとても美しい人だった。
その母が彼の幼い頃、結核菌が脊髄に侵入し寝つくようになった。
その事から、甘えることもできず、無理に良い子を演じているうちに
次第に屈折した劣等感を持つ少年になっていった。
今、彼が「人に楽しんでもらいたい」というのは、
<作品を楽しんでもらえたら自分の存在が無用なものではなくなり
許されるのではないか・・・>と思うからだという。
そんな彼を癒してくれたのは手塚治虫さんの漫画。
これがきっかけで絵を描くようになり、さらに日本初のカラーアニメ
映画「白蛇伝」に影響を受けて、アニメーターの道に進む。
想像力豊かな絵を描く彼は社内でも注目を浴びるが、
自分の作品を作ることができたのは38歳の時だった。
それが「ルパン三世カリオストロの城」。
でも封切をしてみると映画館はガラガラで、
それっきり映画監督の話は来なくなった。
企画を考えては売り込みに行った。
しかし、時はガンダムなどロボットアニメ華やかな時代。
影で「企画が古臭くてあたらない」と酷評されるなど、
しばらくは業界で見向きもされなかった。
その中には、「もののけ姫」、「トトロ」、「ラピュタ」の原案も。
そんな中で、TVアニメで食いつなぎながら、もがき続けていた。
私が大好きな宮崎さんの描くアニメを楽しんでいる間、
そんなつらい時期があったとは思いもしないことだった。
そんな時、アニメージュの編集者 鈴木敏夫さんから連載漫画
の依頼を受け、「風の中のナウシカ」を描き始める。
そして1年・・・。
漫画の人気が高まり、映画化の話が来て映画監督をする事に。
その矢先、母が72歳で亡くなる。
死に目には立ち会えなかった。
しかし映画は成功。これを機に彼は次々と実績をあげていく。
宮崎アニメに登場する女性には、そんな母のいろんな面が
投影されているという。
今回のポニョでは、デイケアセンターに通うトキというおばあさん。
彼は結末を決めないで作品を作り始めるという。
最初のプランはたいてい壊れる。描いているうちにリアリティが
ふえてきて、ストーリーができていくそうだ。
そんな彼も後半は絵コンテが進まず、スケジュールが詰まり
追い込まれることがあった。
しかし、映画は全て空想から出来るのではなく
自らの内なるところにあるという。
久石譲さんから送ってきた映画のイメージアルバムの中で、
人生の終わりを間近に控えた老人の心情を歌った曲を
繰り返し聞くうち、母への想いが込み上げてきた。
映画の中で、母と向き合おうとしていた・・・。
トキ=母をどう描けばいいのか、何をして欲しいのか。
・・・そして、彼はヤマ場を越えた・・・。
絵コンテを描き始め1年半。67歳を迎えた今年作品は完成した。
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